4月29日(月) 5時に起床。標高2580mあると朝は冷えるかと思ったが予想に反して暖かいと個人的には感じた。朝食前の散歩をする。昨晩は暗くなってからロッジに着いたのでどんな村なのか判らなかった。

雪山も見えるし、マナスルから太陽が昇る所も見れた。牛も羊も馬も宿の近くに飼われていた。遠く山肌に赤い花が咲いているが、シャクナゲであろうか。ネパール国花であり、ネパール語でラリグラスと呼ばれている。

朝食を済ませて8時30分に出発する。再び腰と首に負担のかかる悪路が続く。絶壁の山道では車のすれ違いもひと苦労で有り、谷底へ車が落ちない事を祈りながら運転手に命を預けるしかない。

外資企業が奨励してお金を出していると思うがリンゴ園が多くなった。まだ苗木で小さいリンゴの樹だが、何年後か先、立派に育って欲しいところだ。収入源となり得ると思う。

今回の旅がアンナプルナⅢ峰BCを訪ねる旅なのかを話しておきたい。以下は中瀬さんの作文 

1982年2月20日ー5月10日.
三河合同ネパールヒマラヤ登山隊、アンナプルナⅢ峰(7555m)北壁、日本山岳界をリードした仲間10名、4月24日6900m地点でセラック(氷塔)の崩壊で岡部がクレバス帯に埋没、『隊長さんよー。俺がロクっても山登りは辞めないでくんさい、、、とファイナルキャンプに向かう後ろ姿は今も焼き付いている。』岡部の遺体は回収出来なかった。

2日間に分けてアイスレイク〈ICE LAKE〉までのトレッキングと慰霊登山を兼ねている旅なのだ。

マナンまでは15分手前の標高3470mのブラカ(ブラガ)村へ到着する。12時30分となり、ここで昼食となった。レストラン前がアイスレイクの登山口であった。食事の後は、近くのブラガ寺院へ行くがラマ僧が不在につき中には入れなかった。また、中瀬さんが40数年前にお世話になった寺院とも違っていた為、ここからさらに高度順応をしておこうと丘の上にあるストゥーパを目指して歩いた。

高度順応と腹ごなしを終えてレストランまで戻ると意外な再開が起きた。中瀬さんの知り合いと偶然に出会うことが出来たからだった。以下は中瀬さん作文。

『3回忌には岡部の母親(60歳)の切望で小生の家族、11歳、9歳、7歳、妻1カ月の日程、ブラガ村、チベット寺院ラマ僧の家族ぐるみの世話になる。あれから40数年、ブラガの昼食で立ち寄ったレストランで再会、当時13歳の少年が大人になって、お互いの面影は昔を残していた。熱い抱擁胸にジーんときた、彼はマナン行政区の長、5月1日にアンナⅢ峰BCの上部4150mまでガイドを依頼する。』

17時20分に目的地マナンのロッジに到着して、各自部屋の鍵をもらい寛ぐ。19時に夕食をいただき22時には就寝した。


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